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2011年4月、ジェーン・バーキンが単身来日しチャリティーコンサートを行った。そして被災した人々を訪ねた。そこで一人の少女と出会う。その時、少女とのあいだに交わされた会話がこのテキストに投影されている。テキストと曲がパリと東京にそれぞれ住むジェーンと中島の間を往復書簡のように行き来し作品は完成していった。この作品が多くの人に届きますことを願います。亡くなわれた方々への鎮魂、そして生きて残された我々の希望となることを祈って...。

(ジェーンのフランス語のテキストの日本語訳をしてくださった小沼純一さん、英語訳を担当してくださった坂本美雨さん、そして文字構成をしていただいた映画監督の甲斐田祐輔さんに心から感謝いたします。中島ノブユキ)

Jane Birkin / ジェーン・バーキン

イギリス生まれ。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』(1966)で本格的に女優としてのキャリアをスタートする。作曲家ジョン・バリーとの離婚を機に娘のケイト・バリーを連れ渡仏。パリでピエール・グランプラ監督の『スローガン』(1969)で主役に抜擢され、共演をきっかけにセルジュ・ゲンスブールと運命的な出会いを果たす。女優として活動するかたわら、セルジュとデュエットした『ジュ・テーム』はそのエロティックな内容で世界的に波紋を呼ぶ。その後『ジェーン・B~私という女』などを含むセルジュと二人名義のアルバムで歌手としてのキャリアをスタート。『ディ・ドゥ・ダー』(1973)から'80年に別離を経ながらも『いつわりの愛』(1990)まで6枚のアルバムをセルジュがプロデュースする。
'80年以降は、3番目の夫となったジャック・ドワイヨン監督『ラ・ピラート』でセザール賞主演女優賞にノミネートするなど、演技派女優として、映画だけではなく舞台へも活躍の場を広げる。
私生活では、3度の結婚でそれぞれ授かった、ケイト・バリー(写真家)、シャルロット・ゲンスブール(女優、歌手)、ルー・ドワイヨン(女優)の良き母である。また、'84年に誕生したエルメスのバッグ【バーキン】は、飛行機の隣に乗り合わせたエルメスのジャン・ルイ・デュマ5代目当主が荷物のあふれ出しそうなジェーンのかごを目にしたことがきっかけで生まれ、彼女の名が冠されたという。
近年は内戦中のサラエボ訪問、ロシアによるチェチェンの侵攻や、ダライ・ラマのためのプロテスト、ミャンマー独裁政権下のアウンサンスーチー女史解放など、人権問題をテーマとした数々の政治社会問題にも積極的に取り組んでおり、アムネスティー、国境なき医師団、世界の医療団などの活動支援も行ってきた。昨年3月の東日本大震災の直後、自らの病気をおしてまで来日しチャリティ活動や被災者慰問などに尽力した彼女の姿は記憶に新しい。またこの来日がきっかけとなり、立ち上げた "Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg via Japan" 公演で、中島ノブユキ等日本人ミュージシャンとワールドツアーを行っている。(梶野彰一)


photographer Michael C. Maiers
http://www.janebirkin.net/

Nobuyuki Nakajima / 中島ノブユキ

東京とパリで作曲を学ぶ。ピアニストとしては勿論の事、時に作・編曲家としてエレガントかつスリリングなアンサンブルを構築し、映画音楽~JAZZ~POPS~広告音楽~クラシック 等様々なフィールドで展開。主に菊地成孔やUA、持田香織、畠山美由紀らの作品、タップダンサー熊谷和徳と東京フィルハーモニー交響楽団が共演する「REVOLUCION」に音楽監修/作曲、オーケストレーション等。

2011年よりNHK-BSで放送の番組「旅のチカラ」のテーマ音楽(『その一歩を踏み出す』)を作曲。映画音楽として「人間失格」(荒戸源次郎 監督作品)を手がける。

近年、音楽監督/ピアニストとしてジェーン・バーキン ワールドツアー( Jane Birkin sings Serge Gainsbourg “VIA JAPAN” )に参加。

ソロアルバムとしてこれまでに『エテパルマ』『パッサカイユ』『メランコリア』を発表。自身初のピアノソロアルバム『カンチェラーレ』を2012年4月リリースした。ライフワークである「24のプレリュードとフーガ」を鋭意作曲中。


photo by Kenichi Aono
http://nobuyukinakajima.com/

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